政治的思想と関西サーフシーン1971

 私は政治的宗教的思想は皆無であるが、史実を知ることにはとても興味がある。この記事は沖縄返還(1972)の前年1971年の平凡パンチの見開き記事であるが、その左下の小さな広告にハッとして目が止まった。記事内容はタイトルで判断できると思うが、なぜここに記事とは対極にあるサーフィンの広告を持ってきたのか、日本は学生運動のピークを迎え、国家や米国による戦争と対峙していた頃だ。そこに自由の象徴とされたアメリカのサーフィン文化の広告を入れたのは、単に担当が野放図だったのか、ノンセクトラジカル派だったのか、今では知る由もないが・・・。

 そしてこのUNCLEさんの広告なのだが、本題はこちらである。大阪ではジェリー浅田さんの世代を第一期とし、その先を細分化すると1-3年の差でUNCLE萩野さんやショアーの塩谷さんの世代になる。私の知るところでは関西のサーフィンの始まり(ニューショートボード世代)はサーカスに来ていた外人さんが磯ノ浦でサーフィンしていて、それを見たのが浸透の原点・・・が1968-1969と記憶にあるので、その直後にはこうして広告を出すまでに成長したというのは不自然でもある。当時はサーフィン専門誌もない頃だから、週刊誌やファッション誌がサーフィンのトレンドリーダーともなっていた。とはいえメジャー全国誌にこうして広告入稿するのは研ぎ澄まされた先見の明に他ならない。

 こうしてサーフィン史実の年号がはっきりとすると口述伝承の曖昧さがわかります。ではあるけど、まあそんな曖昧さもまた楽しいものですね。きっと、もっと遡った時代に関西サーフィンの源流があるのではないかと思います。