1枚のネームカード

ピーター・クロフォード

「ホーシ!俺は黒いルーフが撮りたいんだ!」

その年の部原は波がなかった。プレイヤー達は肝を煮やし、それぞれが思い思いにハングアウトしていた。僕はサイモン・アンダーソンや、その門徒で当時ライダーだったマイク•ニューリングを連れて、波を探しに行った。いつのまにか後席に騒がしいオージーが乗っていた。

ピーターと初めて会ったのは、その時だった。

 勝浦を南下し、鴨川へ向かう途中、眼下に見える漁村の瓦屋根に興奮して気勢をあげた。結局、大きな体の2人のサーファーが乗る波はなく、人間の諸事雑多な営みから隔離された車は部原へと戻るのでした。サイモンはとにかくビールが好きで、部原へ戻るワインディングではカーブの度に足元で空瓶が鳴っていた。

 翌日はピーターのオーストラリア弁で起こされた。波がない上に、オンショアが吹き、雨が降っていた。

 彼は黒い瓦屋根が、雨に濡れて魅力的になることを知っているようだった。首からかけたニコンのセットアップは50ミリと広角の単焦点だった。フィルムと広角は無造作にポケットに入れていた。

 鵜原、守谷と廻り、浜行川という小さな漁村を主に撮影した。陽気な彼は帰り道、とてもエキサイティングだ!と、喜びを体で表現していた。それからピーターに会うことは無かったが、誌面を通して活躍を知り、僕も嬉しかった。

 その18年後、彼はバリ島で毒蛇に噛まれて急逝した。1999年のクリスマスディの事だった。