SURF Magazine Apr1984 Photo M.Aoki-san
「飯高さんと蛸さんのインタビュー」
36年前の千葉•夷隅2番、もちろんこの頃は2番とか3番とかという呼称は無かった。テトラが入り、物理的境界線ができてから、そう呼ばれるようになった。当時は、毎日毎日それは良い波で、みんな堤防から飛び込んでいたなあ。それもテトラがなかったから可能だった。

 蛸さんがチューブに入るこの波のサイズはもう立たなくなって、というより投入されたテトラの沖になってしまい、消滅してしまった。とはいえこれは一番最初にテトラが入ったが為に出来た波。同時に堤防も延びて、遠浅からドン深になりつつある過程での波です。蛸さんは1月の一番寒い中、ジャーフルにノーグローブだったが、この時は私達が開発した、例のマジカルブーツを履いてこの写真で露出してくれて嬉しかったなあ。それにしても、この写真、光といい、夷隅ではあり得ない水の透明度といい、場所といい、2度と撮れない写真だ。赤い橋の欄干が懐かしい。*ちなみにインタビュー場所は「かぶとむし」。