
「新島」USサーファー誌 1978
Story:Bernie Baker/Photo:Island Style
考えてみれば、多くのプロサーファーが、日本にやってくるようになったのは70年代中盤からで、この78年頃からは毎年開催されるコンテストに、さらに多くの選手がやってくるようになりました。(新島、湘南そして部原、伊勢、四国など)その渦中にいた私には、選手というよりも、めちゃくちゃな人たちだけど、サーフィンだけは半端なく上手い陽気な兄貴たち。そんな感じでした。
このコンテスト巡業が、各地域のサーファー、サーフィンに興味を持つ人たちに対し、強力なプロモーションとなりました、しかし、増殖する「サーファー」という目新しい人種は、各海沿いの地域住人にはとても不評で「サーファー族は帰れ!」という看板を立てる地域もありました。
今思えば、これもある意味「インバウンド」だったと思います。
*下段写真のデーン・ケアロハのとなりでギターを弾いているのは西宮氏(ブーちゃん/マイクロのパパ)です。
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文:バーニー・ベーカー
私たちは 3 つの異なる台風のうねりを拾うことができてとても幸運でした。そして、嵐の前日には、日本人がここ数年で経験した中で、最も大きな夏の波と評したグランドスウェルを体験しました。—
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最初の台風が島々を襲い、コンテスト会場のメインビルの前にあったライフガードの旗は、強風でぼろぼろになった布でしかなかった。その間ずっと、スポンサーは浜辺の退屈さを和らげ、アメリカのロックを流す強力なPAシステムで士気を高揚させようと最善を尽くしました。
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室内では靴を履くことはなく、バスルームにはスリッパが用意されています。浴槽は小さく、そして深く、太陽、砂、塩、湿気にさらされた日の後は、午後遅くにタブに浸かるのが最大の楽しみでした。
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しかし、翌日の朝ご飯に、私たちは衝撃をうけました。配膳されたライスに生の卵をかけて食べるということです。
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