
「ブームを作ったサーフィン映画」
Gidgetが1959年に公開されると、西海岸の海がサーファーで埋め尽くされた。と、グレッグ・ノールさんがおっしゃっていた。
調べてみると以下のような状況だったらしい。
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サーフィンの場面を演じたのはキャシーが出会ったマリブのサーファーたちで、ディーの代役は小柄なミッキー・ムニョスがウィッグをつけ、ビキニを着て演じた。映画は好評を得た。マリブの海岸は映画を見てサーフィンに関心を持った若者の車で溢れ、サーフィン専門誌『Surfer』も創刊された。突然の流行は従来からマリブを根城にしてきたサーファーにとっては迷惑でしかなく、場を荒らされたサーファーの中には映画やその遠因となったキャシーに対して憎悪も向ける者もいた。
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このように商業主義を嫌う風潮は、当時のコアサーファーたちも持っていてて、それは、その後のサーファーたちにも受け継がれた。しかし、今はもうそういったイズムは心の奥底に入り込み、表立ってアンチテーゼを唱えるものは少なくなりました。それは多くのアクティブスポーツでも同じことが言えると思います。
そういえは「ビッグウエンズディ」にしても、それ以前のサーファーには不評であったし、フリーライドが王道だった時代に、あの映画は、映画としてはよく出来ているけれど、どうしてもリアルで見てしまう当時の先輩たちは「サーフィンはそんなもんじゃねえ」的なこだわりがあり、そこには「俺たちの秘密の楽しみ」を喧伝されてしまったような気持ちも混ざっていたのでしょう。
先出のギジェットはシリーズ化され、第二弾の「ヤング・ハワイ」Gidget Goes Hawaiian/1961から日本公開されました。その後、ABCテレビ発のカラードラマでさらにその名を馳せました。(全32話)
同時にサーファーが飛躍的に増えたのも、サーファー誌の号を重ねるたびに厚くなっていく様をみれば瞭然としています。
*ちなみにこのTVドラマは一部セットが「奥様は魔女」とかぶっているようです。また、このドラマは数年遅れて日本でも放映されました(1970)万博に乗っかった感じでしょうね。
*画像は邦題「踊れ!サーフィン」*FOR THOSE WHO THINK YOUNG 1964
ギジェットがヒットすると多くの「ビーチパーティもの」が米国で作られ、日本でも公開されましたが、例によって意味のわからないタイトルがついていました。