万博1970とサーフボード
 和歌山の塩谷シェーパーは万博開催中に何度かアメリカ館に足を運んだ。1970年の事だった。
振り返ればこの年あたりが明確なロングボードからショートボードへの変転期で、アメリカやオーストラリアのサーフショップでは天井に届くようなボードは奥に追いやられ、ラックに陳列されたサーフボードのノーズのあちら側とこちら側で会話ができる程ショートボード化が進行していた。

 日本も同様で1960年代後半には数えるほどしかいなかったイノヴェーター達がこぞってショートボードシェイピングを試しみていた。しかしながら海外の最新の情報を得ることは、当時の社会では非常に困難で、数ヶ月遅れで手に入る海外のサーフィン雑誌にすがるしかない状態だった。
  「アメリカ館に数本のボードが展示されている」
という情報は関西圏のトップサーファー達の間で噂になり、その中で大阪の初代プロサーファーの一人で、すでにシェープを始めていた塩谷氏と関西圏で極めて早い時期にサーフボードを販売した神戸のA氏らと共に、その現物を見に行ったという話を聞いた。
 その話を聞いてから、私自身もとても気になっていて、色々と調べてみると、やはりアメリカ館には5本以上のミドレングスと先進的なショートボードが展示されていた。塩谷氏いわく「Bingのボードのアウトラインがとても素晴らしく、絶対に手に入れるんや」と思ったほどのインパクトを受けた。とおっしゃっていた。

 1970年万博の最終日に氏はそのサーフボードを手に入れるべくアメリカ館に赴き渇望したが、処分は入札をもって販売しますということだった。しかし実際にその板をよく見てみると、展示用に木製のアングルがボトムを大きく穿たれて造形されており、とても乗ることはできないようだった。それでもしっかりと削られたそのボードのアウトラインやレール形状、ロッカーなどを細密に眼に焼き付け、それを基にすぐに板を削った。ということだった。

そして……入札形式で処分されたそれらのボードはいまどこに、、。歴史って面白いですね。
(塩さんお名前使わせていただきました)