80年代に入ると千葉の部原海岸で執り行われるようになったIPS国際大会。毎年春秋に開催されるようになったこの大会が、サーフィン業界やメディの主導権を握り「丸井百貨店」という大きなグループ店舗が直結されているため、当時の大手メーカーやメデイアもこの丸井グループに関わりを持とうと躍起になっていた。しかし、当時はサーフショップ+国産サーフボードメーカー全盛の時代で、安易に「誰でも月賦で買える赤いカードの丸井」には少々拒絶反応を示していた。

 しかし拒絶反応をもってしても、時代はバブルの真っ只中。それに圧倒的な若者人口や「雑誌Fine」の刊行により、70年代からのパッションの上に成り立っているプロショップはそれでもサーフィン業界のメインストリームを維持していました。私自身もすでにウエットメーカーでしたが、外国からの選手を競技会場にアテンドしてましたが、直接丸井との商取引は考えませんでした。