
よく、日本においても、江戸時代の文献に「板子乗りや浪乗り」なんて言葉が出てくるから、サーフィンのルーツは日本にもあったなんて言われるが、いやいや、それをサーフィンのルーツと決めつけるのは少し違和感があります。では銅鐸や雅楽はロックバンドのルーツなのか?草鞋はスニーカーのツールなのか?と言われれば、それは違うと応える方がすっきりとした解答に思えるし…根本的に「家元が違う」ということでしょう。
まあ、それはどうでも良いのですが、身近な一宮町、一宮海岸、その文化風習が登場する芥川龍之介作品の一節があるので書き留めておこうと思う。
書かれた時代は大正14年前後、芥川が大正5年に一宮に2週間ほど滞在した時の心象スケッチだ。
*のちに「蜃気楼」(サブタイトルは続 海のほとり)が発表されるが、これは同時期の鵠沼海岸が物語のステージとなっている。
以下「海のほとり」より抜粋。
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1.海には僕等の来た頃は勿論、きのうさえまだ七八人の男女は浪乗りなどを試みていた。
*浪は波よりも細かく小さい。この浪乗りは蹴乗り、瀬乗りとも言われた。
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2.そこへ彼も潮に濡れたなり、すたすた板子を引きずって来た。
*板子は船の底板、浮力体がない時代は木材が唯一の浮具。
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3.「そら、Hさん、ありゃいつでしたかね、ながらみ取りの幽霊が出るって言ったのは?」
*ながらみは最近では高級品のようになった貝。以前は付き出しでよく出てきた珍味。
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4.「おまけに澪(みお)に流されたら、十中八九は助からないんだよ。」
*みおはこの地域でのカレントの意味。いまでも使われている言葉。
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およそ105年前の話でした。そういえば久しくながらみ食べてないなあ。
40年ほど前のこの時期には、ジムニーに柄の長い棒がついたながらみ網をくくりつけた漁師さんたちが、浜の波打ち際に沢山いたものだけど、最近はあまり見かけなくなりましたね。
そりゃそうですよね、堤防で囲まれて車は浜には降りられないもの。