サーフィンin70年代
「サーフィンオリンピックは私になにをもたらしたか」
JPSAもWSLも、そこに連綿と息づいてきたローカリズムも、一瞬にしてバッハ氏に乗っ取られたようだった。オリンピック禍という魔術を使って。
まあ確かに世界一のスポーツの祭典なのだが、いつのまにかサーフィングもその祭典に巻き込まれてしまった。始まってみれば、尽力したローカルも自分たちの築き上げた神聖なホームポイントに足一歩踏み入れることさえできなかった。(コロナのせいでもあるのだが)
話は飛ぶが、先日「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ幻想の70s」(NHK)を見ていて、いわゆる空白の70年代って日本と米国はある程度シンクロしたもので、ただそこに終焉を迎えたベトナム戦争が大きな差異を作っていた、、と思っていたのですが、それは大きな間違いだったことを知りました。
「イージー・ライダー」に始まり、「ゴッドファーザー」「ジョーズ」「未知との遭遇」「サタデー・ナイト・フィーバー」「ディア・ハンター」「タクシードライバー」「地獄の黙示録」(ホッパー、ルーカス、スピルバーグ、コッポラ、スコセッシ…)
これらの映画にはエンターテイメント性の他に大きなメッセージ性がある。と言う事は知っているようで知らないことが多かった。
けれど「70年代は今日のアメリカが生まれた場所なんだ…カート・アンダーセン」とするならば、やはりサーフィンという「サブカルチャー」もそこがスタート地点ということになる。
そう仮定するならば、サーフカルチャーは先述の「イージー⭐︎ライダー」の制作時期付近に原点がある。—という結論になる。それは60年代のロングボードカルチャーとはまた異なる。
ここでいう70年代とは広義で1967〜1983あたりまでが精神的70年代である。つまりサーフィンとは「自由の象徴」であり、イージーライダーに観る「ロン毛のニューエイジvs南部の国粋思想」のどちらでもないカルチャーであり、どちらでもない精神主義であり、極めて懐の大きく、ニュートラルな「思想のない思想」なのではないかと思う。
環太平洋で始まったサーフィンが、西海岸でカルチャーと化し、左右どちらでもない自由思想でイージーなフィーリングの「サーフィンムーヴメント」が原点であるとするならば、やはり拝金主義化、商業化、組織化された競技としてのオリンピックサーフィンは完全に間違った方向に進んでいると思わなければならない。
今回のスケートボーダーたちの、国境を超えた「仲間意識」すなわちトライブ感は、すでにサーファーから失われたもののように思えてならない。
だがしかし・・・私自身、サーフィングをビジネスとし、生業を立てて43年となるということも、そのイージーライクなサーフィングを維持するために、サーフィングを商業と捉え職業として生きてきたわけで、こんなイージーで自由な生き方も、すなわち「サーフィンなんだ」と逃げておくしかなくなってしまっている。この矛盾のジレンマはこの先も一生続くのだろう。ならば死ぬまでの一生、逃げ切ってみようと思う。ホッパーもルーカスもスピルバーグも、確かに「メッセージ」を投げかけてはいるけれども、結局は映画を生業にしてきたように。
最後に一言いうならば「オリンピック万歳!」としておこう。