“a day in the life” 志田下(釣ヶ崎)oct1981
 今ではオリンピック会場となった志田下。僕は一番右。
 左から2人は生粋の志田下ローカル、のちの全日本覇者テッドの小柳輝彦、サダ、○○君。
 小柳のウエットは肩ファスナーのCalifornia Armor、板は一宮商店街にあったワイルドのツインフィン、この透明のStarSystem TwinFinはよく外れて大変でした。ボックスに入れる際に根元のパーツが折れてしまうんですね。最後はみんなボンドでくっ付けてた。
 僕は当時流行ってたペインターパンツ(牛乳が好きだったわけではなく、1軒しかない商店油屋(現太東セブン)では選択肢があまりなかったのです)真ん中のサダはHawaiianWetsuitsのトレーナー、左の女の子はラハイナのパーカー。時代の変遷が分かってしまいますね〜。
 ちなみに志田下は全く手付かずに近い状態で、写真ではわかりにくいですが車の下は2m位の崖になっていました。今の鳥居の前あたり。

 この頃は東浪見は川鉄下、サンライズははまゆう、、って呼ばれていて、一宮はどん深でポイントじゃなかったのです。護岸工事が始まって砂がついてポイントになったのが1983年頃だったと思います。その次は片貝、その次は飯岡、、その中間ではあまりサーフィンする人は今のようにはいませんでした。ちなみに志田トラはアブ下と呼んでいました。

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