トム・カレンとサーフィンフォトグラファー
photo: M.Shibata / Backdoor Pipeline /1981-1982winter
 「トム・カレン」のスタートというべき17歳の彼を、この場所でこの位置、この時間においてシャッターを押せるフォトグラファーは神というべき人でもある。ここで写真を撮る人には、ここでサーフィンをする以上のアイデンティティ、序列がある。
 大野薫さんは、トムの足取りをたどり、中学2年の浦山テツはトムが捨てた小さなワックスを宝物にしていた。1982年からの10年間で33回の勝利を手にしたトムのデビューは鮮烈を極めていたが、今現在のトムの印象とは違っていた。

 1990年に3度目のワールドタイトルを獲て、90年代も半ばになると、トムの印象はそれまでとは少し変わったものになっていた。賞金のチェックを捨ててしまったり、ほぼ約束の時間通りには現れなかったり。エピソードを挙げればきりがない。

 その日、朝5時のラジオでThe EddieがGO!になると聴き、タウンにいた私は、まだ暗いうちからワイメアに向かった。波は20フィートを超え、差し込む太陽の光は、見たこともないような長さのガンを脇に抱え、ビーチをこちらに向かって歩いてくるサーファー達にドラマティックなライティングで演出していた。
 ある者は沖を見つめコンセントレートし、ある者は真摯に胸元でクルスを切る。またある者はフィアンセと抱き合い無事を誓う。そんな緊迫した光景はサーファーというよりも、もはや冒険家であった。
  
 海へのエントリー場所に近く、すでに僕が陣取っているワイメア右側H2沿いには、600mmから800mmクラスの超望遠レンズと三脚が、途方も無い数でずらりと並んでいた。
 するとそのカメラから一斉にカシャカシャとモータードライブのシャッター音が鳴り響いた。
トムカレンの登場だった。トムは他のサーファーと違い、トランクス1枚、髪の毛は寝癖がついてぼさぼさだった。リーシュコードもしていない、トランクスとガンのみの構成だった。

 サイドからの光は、彼をより一層神格化していた。トムはそのままの歩調でショアブレイクのタイミングを合わせている間、欠伸すらしていた。
 そのとき、ふと私はそのトムの所作とシャッター音のプレゼンスの中に、父親のパット・カレンを見たのだった。
 と同時に、私がやってきたサーフィンは、それは「サーフィン遊び」であった事を知った。